V.A. Koskenniemi (1940) | 松村一登訳 |
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Oi Suomi, katso, sinun päiväs koittaa, | おお,スオミ,見よ,お前の夜明けだ |
yön uhka karkoitettu on jo pois, | お前を脅かす夜は遠くへ追い払われ |
ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa | ヒバリが,輝く朝の歌を歌っている |
kuin itse taivahan kansi sois. | まるで空自身が奏でているようだ |
Yön vallat aamun valkeus jo voittaa, | 朝の光が夜の闇の力に打ち勝ち |
sun päiväs koittaa, oi synnyinmaa. | お前の朝が明けたのだ,祖国よ |
Oi nouse, Suomi, nosta korkealle | さあ立ち上がれ,スオミ,高々とあげよ |
pääs seppelöimä suurten muistojen, | 偉業の記憶の花束で飾られた自分の頭を |
oi nouse, Suomi, näytit maailmalle | さあ立ち上がれ,スオミ,お前は世界に示した |
sa että karkoitit orjuuden | 他民族による支配をはねのけたことを |
ja ettet taipunut sa sorron alle, | 圧政に屈しなかったことを |
on aamus alkanut, synnyinmaa. | お前の一日が始まるのだ,祖国よ |
シベリウス (Jean Sibelius, 1865–1957) の作品の中で,日本でとりわけて有名な「フィンランディア」 (Finlandia, Op.26) が作曲されたのは,まだ独立前のフィンランドがロシア化政策の厳しい締めつけの中にあった1899年である。厳密に言うと,1899年に演奏されたのは,「フィンランディア」の原曲の「目覚めるフィンランド」 (Suomi herää) という曲だったらしい。原曲を聞いてみると,現在の「フィンランディア」とはフィナーレの部分がずいぶんと違う。「フィンランディア」は 「交響詩」 (sävelruno) と呼ばれるが,これは,ことばの代わりに,メロディーで綴った詩というような意味らしい。
「フィンランディア」 は8分ほどの作品だが,その5分過ぎから約2分間の静かなメロディーに,上のような愛国的な歌詞をつけてアカペラの合唱曲として歌うのが「フィンランディア賛歌」 (Finlandia-hymni) である。この歌詞が書かれたのは,1940年,すなわち,フィンランドが対ソ戦争の前半,いわゆる「冬戦争」 (talvisota, 1939/11/30~1940/3/13) の時である。
冬戦争では,圧倒的な戦力の差にもかかわらず,フィンランドは一時ソ連軍を撃退するほど善戦するが,最終的には講和条約においてカレリア地方を失う。「フィンランディア」 は,二重の意味で,フィンランドとロシアの歴史的な関係を映しているといえる。
第2次大戦におけるソ連との戦争をテーマとする映画 『無名戦士』 (Tuntematon sotilas) の中で,対ソ戦争に負けたフィンランド軍が西へ退却する場面のバックに流れた「フィンランディア」が,私にとってもっとも印象深い 「フィンランディア」 である。リンナ (Väinö Linna, 1920–1992) の同名の小説の映画化されたものだが,この小説は1950年代と1980年代の2回映画化されている。私が1979年の独立記念日 (12月6日) に観客がまばらなヘルシンキの映画館で見たのはもちろん1950年代のモノクロ作品である。
【蛇足】独立前のロシア領時代を 「夜」 (yö) 「夜の支配」 (yön vallat) 「隷属」 (orjuus) 「圧政」 (sorto) など,独立を 「朝」 (aamu, päivä) 「明るい輝き」 (kirkkaus) 「朝の明るさ」 (aamun valkeus) などのことばを使って対比させ,さらにその2つを 「追い払う」 (karkoittaa) 「克服する」 (voittaa) 「(夜が)明ける」 (koittaa) などの動詞で関係づけるという,誰にもわかるきわめて単純明解な歌詞になっている。